2006年02月26日

半年前の旅日記5

いやいやメールを整理してたら、半年前に四国に行った時の旅日記が出てきました★
実はあの時、ジムを経営するのが何故か、嫌で嫌で・・。そんな時の文章です。結構長いので、暇な人だけ読んでくださいませ〜★


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あの頃、男同士でよく夜景を見に行ってました。眼下一面に広がる壮大な光がどうしようもなく羨ましかったのです。「光の数だけ輝いている人間がいる、俺もそんな光輝く人間になりたいんだ」いつだってそう思いながら歩き続けてきました。
それから何年かの月日が流れ、得てきたものと同じくらいか、それ以上のものを落としながらも僕は大人になりました。
僕の光はあの頃の場所から見えますか?手にした家庭や、手にした仕事を必死で守る今の僕の姿を見てあの頃の僕は何を思うのでしょうか?いつだって頭を下げて、発する言葉と言えば「すみません」「ありがとうございます」…。僕の光はあの頃の場所から見えますか?


2005年7月4日、僕は四国に出掛けます。


AM10:30起床。タオル3枚とキャッシュカードだけをセカンドバックに積め込み出発
する。
とりあえずの目的地は四国香川に住む「松本」という友人の家。見慣れた京都の道を走りながら「松本」にTELをしているとバックミラーに赤色灯がクルクルと映し出されている。そういや運転中の携帯TELは違反だったっけ、そう思い出して慌ててTELを切ったが耳障りなサイレンが鳴り停車を求められた。減点1点に反則金6,000円。別に痛くもないが、警察までに「すみません」と頭を下げてる僕自身は一体どうしちゃったのだろう。
反則切符を眺めながら、学生時代、僕は「松本」のところによく出入りしていたことを思い出した。「松本」はミュージシャンになる夢を叶えるため、学校を辞めて、バイトをしながらいつも路上で歌を歌っていたっけ。あの時も、「松本」はいつものように、路上に座り込んで歌を歌っていた。やけに大勢の人に囲まれて、大きな声で上を見ながら歌っている、そんな「松本」の視線の先には、たしかに満天の星空が広がっていた。そして僕はといえば、羨ましさと情けなさが入り混じった、そんなよく分からない感情が押し寄せてきて、家に帰ったことを思い出す。帰り際の電車から見た町の灯りすら、眩しすぎて、大きすぎて、まともに見ることが出来なかったんだよな。
そんなこと思い出しながら、僕はちょっとだけスピードを出して車を走らせていた。


PM0:00明石海峡大橋通過。鳴戸の渦潮をまたいで悠然とそびえたち、どこまでもまっすぐに伸びる橋に久しぶりに感動した。「かっこいい!」思わず出た言葉だが、「凄い」じゃなくて「かっこいい」だったっけ。言語学的には「感動」ではなく「憧れ」の意味合いで発せられた言葉だ。
昔の人達が未だ見ぬ土地に憧れを抱き、そこをユートピアと名付けたのと同様に、僕も素直に「かっこいい」と思えた橋の向こうに繋がる土地が、何故だか分からないけれどユートピアであると思えた。初めて降り立つ島のSAには真っ白な建物と青々とした芝の公園があり、通りぬける風が心地よい潮の香りを運んでくれる。
口にする食事もそこそこにして、煙草を吸いに裏口のベンチに出ると、そこにはいつも目にする光景があった。ベンチにはホームレスと思しき初老の男が寝転がり、向こうの方では作業服を着た汗苦しい男達が弁当を広げて談笑してる。いつもと変わらぬ光景の中、いつもと変わらぬ煙草をもみ消した時、あの頃公園のベンチで同じように煙草を吸ってた自分の姿を思い出した。
お母ちゃんの手を握って公園のベンチに座ってた幼少時代、ネクタイ締めてるサラリーマンが何だかとてもかっこ良く思えたっけ。友人と一緒に学校早退して公園のベンチに座ってた高校時代、ネクタイ締めてるサラリーマンが何だか鎖につながれてるみたいに見えてとてもダサく思えたっけ。そして職にも就かずフラフラしてた20代前半、ネクタイ締めてるサラリーマンがたまらなく羨ましくて、たった一人ベンチに座ってた自分の影に唾をはき捨てたっけ。


PM11:00「松本」の家。四国香川への道はそんなに遠くなかった。「松本」とはサ
ウナに入り、居酒屋で久しぶりにビールを飲んで他愛もない話に花を咲かせた。「松
本」の家は相変わらず漫画の本が山積みにされ、汚らしくあちこちにビールの空き缶
が散乱している。変わったことといえば2匹の猫がいるくらい。「○△☆〜」等と意
味不明な猫の名前を呼び頭を撫でてる彼の姿がやけに小さく見えた。「松本」の家で
の会話も尽きてくると、彼はおもむろにギターを取りだしブルーハーツの曲を歌い出
した。
「?」何か違和感を感じた。それが何なのか分かるのに時間はかかったが、何だか非常に不愉快な気分が押し寄せてきた。時間は深夜をまわっていたせいもあるだろうが、ギターの弦を弾く指にも力がない。「くそったれ、くそったれ」と歌う声も細々
として何だかよく聞き取れない。あの頃、羨ましくて仕方なかった「松本」の姿など、どこにもなかったんだ。大体どこを見て歌っているんだ?気にもならない雑音と
一緒に雨音が聞こえてくる。どうやら雨が降ってきたみたいだ。


2005/7/6


AM5:00一睡も出来なかった。僕は変わり行く自分の姿に迷い家を出たはずだったん
だ。人を認める事のできない僕が素直に憧れてた「松本」と会えれば、何か少しは見
つかるんじゃないのかなって、そんな気持ちで来たのに…。部屋がぬるい、ぬるすぎ
る。明日は「美味しいうどん屋に連れてってやる」???小麦粉なんて食いたくねー
よ!僕は家から持ってきたノートをちぎり書置きを残して家を出た。実は書置きを終
えた後、少し横になって家を出て一人で行くべきか、明日も一緒に行動して楽しい一
日を過ごすべきなのか、本気で迷っていた。たしかに明日も「松本」と共に過ごして
四国を満喫するのも悪くない。しかし今出ていったほうが「かっこいい」んじゃない
かって、そう思えた瞬間、僕は迷わず家を出た。ぬるい友達ごっこなんてクソくらえ
だ。
昔から僕の行動基準はこうすれば「かっこいい」んじゃないかっていうところにあ
る。端からみれば奇行であったりダサかったりするんだけど、自分自身がどれだけ満
足するかっていうところに行動基準を置いている。そのため妻なんかからは身の程知
らずのナルシストだのとよく悪口を言われるが、最終的に人生なんて自己満足できた
ほうが勝ちだろう。「松本」の家を一人出たとき、僕はたしかにこう思った。「俺っ
て超かっこいい〜!」


AM6:00ガソリンスタンドでコーヒーを買い、一日遅れで始まる「一人旅」のために
トリップメーターをゼロにした。バックミュージックは尾崎豊の「FIRE」。本当は長
渕剛の「友達がいなくなっちゃった」をバックに流して激走(激唱)したかったんだ
けどCDを積み忘れたので我慢した。とりあえずナビを「室戸岬」にセットして走り出
す。すると数分後いきなり高速道路入り口に導入された。このナビ、道路公団から裏
金でも貰っているのかやたらと高速を使いたがる。まあいいや。さあ、ここからが僕
の「一人旅」の始まりだ。


AM7:00最初はノリノリで走っていたが、一睡もしていない事がここにきて災いとなる。30分も走った後、猛烈な眠気が襲いかかり僕はフラフラだった。ほんの少し「松本」の家を出たことを後悔していたが、それでも尾崎豊をバックに激走(激唱)する。しばらくするとトンネルにさしかかった。このトンネルの中で僕はもう一人の自分を発見することとなった。行けども行けどもトンネルの出口は見えない。車幅は狭いし、トンネルに設置された灯が等間隔に車窓を流れ余計に僕の眠気を催させる。
更にはバックミュージックにかけてた尾崎豊の野郎がバラードを歌い出すものだから
僕の眠気は頂点に達してしまった。本来なら車を脇に止めて仮眠を取るのだがトンネ
ル内ではそういうわけにも行かない。眠気と戦っている中、「本当に今運転している
のだろうか?」「もしかしたら松本の家で夢を見ているのではないか?」等という危
険な妄想が頭をよぎり始める。自らビンタをして眠気を覚まさせんと努力するが僕の
妄想は止まるところを知らない。さすがに本気で危険を感じた僕は拳を握り自らの顔
面に思いっきり右フックを打ちつけた。危なくKO寸前だったが何とかトンネルを脱出。仮眠を取る為にSAを探すがなかなか見つからない。もはや「松本」の家を出たこ
とを猛烈に後悔し始めていた。この見渡す限り「山」「山」「山」の四国の大自然の
中でたった一人のこの状況。「寂しい」「不安」「帰りたい」自分自身がこんなに弱
い人間だったとは、と思うほどに辛かった。前述の「もう一人の自分」とは「ウサギ
のように寂しがり屋」な自分であった。やっとの思いでSAに到着すると時間はAM8:
00。そういや今日はAM8:30に起きる約束をしてたっけ。もうすぐ「松本」からTELが
入るはずだ。そしたら面倒臭そうに戻ってやろう。今日は美味しいうどんを食べて
やっても良いよな…。そう考えながら携帯の着信音を最大にして、且つすぐに出られ
るように耳元に携帯を置きながらSAで眠りについた。


AM11:30目が覚めた。「電話は?」「しまった!寝過ごしたか!?」「これじゃあ
松本にTELを無視したと思われるじゃないか!」そう思い慌てて携帯を見ると着信表
示は無し。そんなわけないだろうと念の為、履歴も調べてみたが1件も着信無し。
…。しばらく考えた後、「きっとまだ寝てるのだろう。昔から寝坊ばかりしてたから
な。」そう自分に無理矢理言い聞かせてSAで食事を取る事にした。眠気は既に無く
なっていたが、寂しさは時間を増すごとに膨れ上がってくる。食欲もなかったので売
店でバーベキューの串を買い無理矢理ほおばった。「そういや鳥インフルエンザ大丈
夫かな?」今僕が食べているのは牛肉であるのにもかかわらず意味不明な不安が出て
きて、3つ目の肉ブロックを口にする前に捨ててしまった。もはや正常な認識ができ
なくなりつつあった。鳥インフルエンザと牛肉の関係、あの時は本気でその違いを認
識できずにいたのだ。こうして人は怪しい宗教に洗脳されていくのだろう。


PM12:10今だ着信あらず。もう駄目だった。如何にポジティブシンキングな僕の思考回路を以ってしてもこの状況は認めざるを得なかった。「無視されてる…」たしかにダサいと思ったが、このままでは寂しさで狂ってしまうと思い、こちらからTELすることを決意。さっそく発信ボタンを押す。すると電話口から「何や〜?」と聞き慣れた声が。聞けばうどんを食べているとの事。俺って一体…。落ち込む間もなく「寂しくなったんか?」と核心を衝く一言を「松本」は言ってくる。まさにその通りだったが認めるのも嫌だったので「公言通り野糞をした報告や!」などと口からでまかせを言ってしまった。書置きにはたしかに「社会のクソみたいなしがらみに負けていたように思うから、一発野糞をかましてくる」などと書いてはいたが、社会どころか自分自身に負けていた今、野糞をやってのける状況ではけしてなかった。とはいえ言ってしまった以上やらざるを得ない。TELを切った後、これから「野糞」をするという行為をまるで仕事のように感じ憂鬱になっていた。
本来なら室戸岬で「野糞」をする予定だったのだがTELの後、少し安心したのか猛烈
な便意に襲われた。幾つかのコンビニをすれ違ったわけだが、コンビニでトイレに行
ければどれだけ楽だっただろう。今考えれば嘘付いたままコンビニでトイレを済ませ
ば良かったのだが、極限状態まで追い込まれて正常な判断ができなくなっていたのだ
ろう。この時、僕は必死で「野糞」が可能なポイントを探していたのだ。それこそオ
ウム信者が麻原にポアすると宣言したことを考えなおすこともなく実行してきたのと
同じように…。


PM12:30海岸に一人立つ。やっとの思いで海岸を探し(=松本には海岸で野糞をしたと言ってしまっていた)防波堤の陰に隠れズボンを下ろす。箱ティッシュを抱えながら軟便を搾り出す。尻を拭き、一人自分の糞を眺めていると何だかとても辛い気分になった。この感情、どこか懐かしいものがある。そう思って記憶を辿ってみると小学生の頃、同級生のいじめっ子に無理矢理フルチンにさせられた時の気持ちと同じ感情であった。涙が出そうになるのをじっと我慢して車に戻り、僕はそっと目を閉じた。「俺は偉大なことをやったんだ!社会の糞を吐き出してやった!…☆☆!」元気になった。元気になった。自分がかっこ良く思えてきた。そう、最高!バックミュージックにはシャ乱Qの「答えはいつかでるだろう」をチョイス。気分良く室戸岬を目指す。これこそ僕の十八番の自己催眠だ。
この自己催眠ってやつ。意識して行なっているのだが、これはなかなか訓練無しには普通の人にできない技だ。何故僕がいとも容易く自己催眠をできるのか、その答えは幼少期にある。小学校の時、僕はグリーンピースが嫌いで仕方なかった。食べると本気で吐いてしまうのだ。ある日、それほど嫌いなグリーンピースが給食で出てきた。しかも半端な量ではない。小皿いっぱいにグリーンピースが盛られている。(=今思えば給食職員の怠慢であったようなメニューだが)一瞬で「無理」と思った僕はあろうことにか小皿いっぱいのグリーンピースを全て床に捨ててしまった。今思えばこっそりポケットに入れてゴミ箱に捨てれば良かったのだが…。案の定、終りの会で担任の先生が激怒する。「グリーンピースを床に捨てた人が素直に出てくるまで家に帰しません!」なんて言っていた。始めは静かだった教室も徐々に「正直に言えや!」「出て来い!」なんて声が響き始める。その時、僕はとっさにこう思ったのだった。「俺が捨てたのは緑の豆だ。グリーンピースなんて知らない…。」すると不思議と罪悪感がなくなり、あろうことにかクラスメートに混じって「早く正直に出て来いや!」なんて言っていた。結局、担任の先生がブチ切れして「正直に言えない人はロクな大人にならない」なんていうような台詞を言って終了したが、あれから僕は自己催眠のエキスパートになっている。


PM2:00室戸岬に立つ。ナビに誘われるままに室戸岬に到着。駐車場の中で岩にぶつかり天高く舞散っては落ちていく波飛沫を見ながら、人間の生き様を思った。上を上を目指し、そして落ちていく。そんな諸行無常の世の常に考えさせられながら室戸岬を後にした。いや後にしたつもりだった。ナビでは「目的地周辺です、音声案内終了します」との声で終わった駐車場を出てブラインドカーブを曲がったところに、何と「室戸岬→」との看板が。僕がさっきまで室戸岬だと信じ一人で黄昏ていたところは
場所違いだったのだ。まあ、せっかくきたのだから本物の室戸岬を見に行く事とする。遊歩道を1分くらい歩くと壮大な海岸が目の前に広がっていた。人は誰もいない。波も穏やかで怖いほど静かだった。
そもそも何故僕が室戸岬を目指したのか、それは霊場八十八箇所の生みの親、空海が初めて悟りを開いた場所だからだ。僕も空海にちなみ何か悟りとまでは行かなくとも新たな考えを持つ事はできないかと、そう思い、この室戸岬にやってきた。
まあ、別に室戸岬で初めて悟ったわけでもなく、「松本」の家を出てからここまでの道中で確信に至った考えだが、僕は「ウサギのような寂しがりだった」ってこと。
今まで一人で生きてきたような気持ちになっていたが、けしてそうではなかった。
様々な人に助けられ今日があるのだ。もう素直に認めよう。みんなが僕を助けてくれ
ているんだって。


PM3:30四国高知の海岸線を疾走中。バックミュージックは19の「あの青を越えて」。まさに人の温かみを知った僕に相応しい曲だ。そんな時、今晩の宿としてお世
話になる「岡」からTELが入った。「晩飯一緒に食うか?」なんていう電話かな、なんて完全復活した僕のポジティブシンキングが妄想を膨らませる。すると「岡」からの第一声は「今忙しいんだよ」…?本気で理解できなかった。すると「岡」は立て続けに話続ける。伝票の整理で忙しいこと、毎晩帰りが遅いこと、部屋が狭いこと、…。だんだん現実がまた僕のポジティブシンキングを壊し始める。「拒否られてる」そう理解して僕は泣きそうになった。一人だ、やっぱり僕は一人だったんだ。憂鬱な気分で高知の海岸線を走りながら、これからの自分の行動について真剣に悩んだ。どうすべきか?どうすべきか?どうすべきか?気が付くと僕は「松本」にTELを入れていた。…「留守番電話サービスにおつなぎします」何の感情も無い音声が虚しく僕の頭をこだまする。バックミュージックは…覚えていない。


PM4:00携帯が鳴る。「松本」からのTELだ。やっぱあいつは友達だよ、僕は今朝方愛想を尽かしたことも忘れて「何や〜」という「松本」の呼びかけに続けた。「すみません!今晩もお世話になります!」と。徳島県に入った。もはや景色なんてどうでもよかった、早く帰りたかった。大親友「松本」のもとに帰りたかった。


PM8:00感動の再会を果たす。ほんの十数時間会わなかっただけなのに、数年ぶりに
出会った感動だ。何週間も一人旅をしていた気がする。この晩、焼き鳥屋に連れていってもらった。昼間、「鳥インフルエンザが…」と意味不明なことを言いながら、何故か牛肉を捨てていたことも忘れて夢中で焼き鳥をほおばった。美味しかった。生まれてこの方ベスト3に入るくらいの勢いで今日のプチ武勇伝を話続けた。ビールで頬を赤らめながら「スズケンはな〜」と肩を叩き話を聞いてくれる「松本」がいる。
最高だ、最高の仲間だ。終り良ければ全て良し、最高の旅だった。最高の晩、四国最
後の晩はこうして暮れていった。


2005/7/7


AM7:30「松本」が起こしにきた。何を言っているのかよく分からなかったがとりあ
えず起きろと言っているのだろう。何でも「松本」は今日早朝から職安に行かなくて
はならないらしい。もう少しゆっくりしたかったが帰ることにした。僕達は「じゃあ
またな」学生時代から変わらぬ挨拶をかわし家を出た。
「松本」とは学生時代からの付き合いだが、いつも分かれ際はそっけないものだっ
た。お互い別れた後はけして振り返らない。理由はないけどいつだってそうだった。
でも、この日僕は振り返った。すると「松本」も未だ背を向けずこちらに向かって手
を振っている。10年来の付き合いだが初めてのことだ。僕も軽く手を挙げて応えよう
としたけれど、挙げた右手は大きく振られていた。当初は「あいつは変わったな」っ
て思ったけれど、この時「お互い変わったな」って、そう思ったんだ。それが良いの
か、悪いのかは分からない。ただ確実に変わっていっている。それが大人になったこ
となのか、それとも違うのか、それもよく分からない。ただ、こういうのも悪くない
な。って思ったんだ。


kyotosaiin at 03:27│Comments(0) 日記 | 日記

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