2006年02月05日

格闘家の資質5

今こうしてボクシングの指導を仕事にしているわけだが、(大部分をトレーナーに任せているが)別に格闘センスがあったわけではない。

ジャブを覚えるのに1年かかったし(日曜日以外毎日練習してたけど)、スパーリングの前はいつも恐怖を感じてた。

それでも何とか試合で勝ち越せてこれたのは「努力」以外何もない。だからジムに通うほとんどの会員さんを見るたび「凄いな〜」と、そのセンスに舌を巻くし、途中で辞めてった会員さんに対しては「勿体無いな〜」と残念に思う。

あとボクサーに結構多いのだが、他の格闘技にあまり興味がない。今日もTVで何かやってたみたいだが仕事をしていたこともあり見ることができなかった。

今、健康の為に「空手」を習っているわけだが、どうしても素晴らしい指導方法に目が行き、「うちのジムにもこの練習方法を取り入れることができないだろうか」と技を習う観点とは少しずれた視点で取り組んでしまう。

知り合いのジム&道場経営者と話をしていても、みんな「格闘家」。同世代、そして年配の方々(指導者)がいまだに自らの強さを探求していらっしゃる姿に驚いた。

そういったことも関係してか、はたして自分は「格闘家」なのだろうか??

そんな悩みを少し前に抱いたことがある。こんな自分が指導者で良いのだろうかって。そんなとき、ちょっと前のブログにも書いていた通り、自身のWEBショップでの失敗をやらかした。

この損失を如何にして挽回するか。
そんな時に力となったのが自分自身のボクシングの経験だった。

とりあえず1R目はポイントを取られた。
焦らずインターバルで完全に呼吸を整え、次のラウンドは絶対にまきかえす。

そんな気持ちで今さっきまで必死に頑張り、何とか損失分はカバーできたのだ。
(ホッと一息してブログを書いている)

そこで思ったことは、自分も「格闘家」だってこと。
今、実際にリングに立っているわけではないが、社会という名のリングで戦っていることには変わりはない。
常に状況判断が求められ、攻めるときか、守るときかの一瞬の攻防を意識して生きている。

何かの本で「大学に行く意味」ということについて、「法学部」を出た者は物事を法学的に考え、「経済学部」を出た者は物事を経済学的に考えることが出来るようになっていたのなら、それは大学に行った意味があった証拠だということを読んだ覚えがある。

その時は「ピン」とこなかったが、今ならよく分かる。
10年間に及ぶボクシング経験の中で、しっかりと「格闘家」としての物事の捉え方が出来ていたのだ。

「一生格闘家」
そう言ってた傷だらけのゴツゴツした強面の人間ではないが、自分もまた「格闘家」であると認識できた日だった。

センスはないけど「努力」する。
社会という名のリングで戦い、生き残るためには、それしかないでしょ★

さー、あとちょっとだけ頑張ろ!!





kyotosaiin at 03:39│Comments(0)TrackBack(0) 日記 | 日記

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